私が塾講師の方から学んだこと
私は大学受験のために、2年間ほど塾に通っていました。今思えば、塾に通っていなければ、今のこの生活はなかっただろうと思います。塾講師の方がいつも言っていたのは「勉強できるようになれば勉強はもっと楽しくなる」ということでした。その言葉を受けて、毎日勉強をしながら部活動も頑張りました。定期的に勉強をしていたおかげで、それなりの成績を残すことができ、大学も志望の学校に進むことができました。塾講師の方のおかげで今の私があります。
今から30年以上も前のことになります。当時私は大学の2年生。高校1年生の男の子の家庭教師を1年間務めたことがありました。比較的おとなしい子で、父親は地方公務員、母親は公立学校の教師と経済的には恵まれた家庭でした。その分こどもへの期待が大きかったように思います。父親からは「高校2年終了の段階で、国公私立の有名大学合格の実力を付けて欲しい」と頼まれました。ですが、初めて家庭教師をやる私にその力はありませんでした。教えることの難しさ、知っていることと教えることは別のことであると、その時に知りました。 結局、私は1年後、家庭教師を辞退しました。たまには生命保険検索もっと早くに気づけばよかったとの思いもありました。今にして思い返せば、私自身無鉄砲なアルバイトをしてしまったと反省しています。
★元巨人、ダイエー トータルライフコーディネーター・山田武史さん(46)
1965年(昭和40年)生まれには、渡辺久信(現西武監督)、水野雄仁(元巨人)ら好投手が多いが、その中でも最も才能に恵まれた投手といわれたのがこの人だった。故障に悩まされたが、浮き上がる速球は今も伝説となっている。現在は都内で健康食品の販売などトータルライフコーディネーターとして、健康相談に乗っている。(聞き手・米沢秀明)
【球界との決別】
巨人からダイエーに移籍し、右ひざの故障をしたあとはシーズンを棒にふってしまいました。次のシーズンに備えていた12月になっていきなり球団に呼ばれ、解雇だというんです。こんな遅い時期になっているのに…。阪神のテストを受けましたが駄目でした。すぐに不当解雇騒動となりました。
結局、一緒に解雇された本村信吾さんの提訴が通りました。でも僕は提訴しませんでした。まだユニホームを着たいという一心から。提訴して決裂しては、野球を続ける道が閉ざされてしまう。そう思ったからです。2つの自動車保険ランキングを調べよう
球団が謝罪に来たのは1月20日ごろ。年俸の7割を支払うと申し出てきましたが、規定では参稼報酬の全額となっていました。「ふざけるんじゃない」と僕は譲る気はありませんでした。そして9割の支払いで和解し、野球から頭を切り替えることになったのです。
【プロゴルファーへ】
引退後、最初は知人の紹介で東京の不動産管理会社に勤務。ちょうどバルセロナ五輪が始まって、選手たちの姿を見ていたら、いてもたってもいられなくなりました。そこで、かねてから考えていたプロゴルファーになる道に踏み出そうと、会社を辞めたんです。
それから、東京・世田谷の練習場で毎日打ち込みを始めました。ゴルフには少し自信があったのです。選手仲間の中ではうまい方という程度だったんですけど。
若干の蓄えがありましたので、それを全部使ってプロゴルファーになろうと思っていました。しかし、費用も馬鹿にならない。そこで、現役時代からお付き合いのあった漫才師、おぼんさん(おぼん・こぼん)の紹介で、千葉の某ゴルフ場の研修生となったのです。
【ゴルフショップ経営】
ただ、研修生だけでも生活できないわけです。そこでキャディーをやりはじめ、そのうちレッスンをしながら報酬を得るようになりました。秋の保険相談からの声偶然、そのゴルフ場近くに練習場付きゴルフショップがあり、経営者から、「代わりに店をやってくれないか」と持ちかけられたので経営を預かることになりました。
近くに住んでいたことから1994年から妻と2人で店を切り盛りしましたが、経営は楽ではありませんでした。何しろゴルフ用品の在庫を持たなければならない仕事。安売り業者も多くなり、利益は上がりません。
店の経営は妻と2人で1馬力ですから、効率もよくない。レッスンをしているときには、妻が店番をしなければいけない。2004年に店を譲ることにしたのです。
【健康第一】
そのころ、妻の様子がおかしいことに気がつきました。電話でコソコソ話をしている。妻の姉が看護師で旦那さんが医師なのですが、何か相談しているんです。「ちょっと」と妻に呼ばれて、脇のあたりを触ったら、ビー玉ぐらいのしこりがあり、これは大変なことになったと思いました。
そのとき考えたのは、もし、それが悪いものだったら、たとえ医者に診せても、抗がん剤や放射線で大変な思いをするということでした。それだったら、別の方法にかけてみよう。そこで、使ったのがアロエベラジュースでした。
現役時代から仕事柄、健康に関しては興味があり、いろんな健康食品を試していました。現在までのアクサダイレクトで自動車保険とのご報告実際に自分が飲んで品質を確認することも多かったのですが、アロエベラジュースは身体にいいことは実感でわかっていました。
しこりは幸運にも数カ月でなくなりました。ペットの2匹のイヌもアレルギーが完治。それから自分は都内近郊で勉強会や講習会に出席して、健康の指導をしています。
実は自分は社会人時代に肩を壊し、プロに入ってからは1球も思い通りの球が投げることができませんでした。それでも、昭和40年会の集まりで、高校時代に誰が一番いい球を投げていたか、という話になり、古田(敦也元ヤクルト、現解説者)が言ってくれました。
「山田、お前の球が一番伸びてたってみんな言ってるよ」。これは本当にうれしかったですね。
■山田武史(やまだ・たけし) 1965年6月1日福岡県久留米市生まれ。久留米商時代の83年春夏連続で甲子園に出場。大会屈指の速球右腕として活躍し、夏はベスト4。本田技研熊本を経て86年ドラフト外で巨人に入団し、中継ぎで出場した。90年にダイエーに移籍。91年オフに保留選手名簿に記載されながら他2選手とともに解雇通告を受けた。年俸の9割相当額で和解したが同年現役引退。秋田の生命保険で比較←ナビ通算成績は30試合登板、0勝1敗、防御率4・89。
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